2002年2月の日記

2月28日(木)

YDC(19:10~21:00)

笠見さんが来ていたので早速クラブパスをした。こんな普通のパスをしたのはいつ以来だろう? 予想はしていたけどやっぱり楽しかった。
笠見さんは会社が休みだから出てきたらしい。横浜の方に用事があるのかと思ったら、ぱさーじゅとYDCが目的でわざわざ来てるんだとか。そりゃすごい。
今日の野毛出場芸人チェックは6組で、パントマイムの人、ボールソロ、帽子ソロ、スプーンとグラスの2人組、ボールチーム、そして前回も出たシガーボックスの2人。感想というかアドバイスを紙に書いて渡すんだけど、厳しいことを書くべきなのかどうか迷う。YDCとして何を目指しているのか、全体の意志が統一されているともう少し書きやすいのかもしれない。
佐野さんに「ジャグルタイム」のビデオを渡した。

2月27日(水)

マラバリスタ(18:40~20:00)

ダブルダッチの「ヘンナ」ルーティンを、やや小さめの帽子を使って通してみた。いや、まだ通ってはいないな。
MPF実行委員長の山内の話によると我々は前半のトリらしい。大丈夫なんだろうか?
練習後は「3++」の手伝いをするために駒場小空間へ行ってきた。照明の設置や音響のチェックなど専門知識の必要なことばかりで大変そうだ。でも、みんなで舞台を作り上げているのを見て、何だか羨ましくなった。
翔一から1994年IJAチャンピオンシップが返ってきた。今村に「ジャグリングマスター2000」を貸した。藤倉が九州土産のお菓子をくれた。彼女は福岡で偶然九州ジャグリング選手権に遭遇して見てきたとか。それはある意味、ジャグリング選手権を見ることを目的に茨城から出かけていった広幡さんよりすごいな。

2月26日(火)

まめぞう(19:00~20:30)

昨日今日と東大の入試で駒場キャンパスに入れなかったため、珍しく火曜日にあるまめぞうに行ってきた。色々あって早めに帰ったけど、この前よりは人が多かった気がする。
私と今村、玲、うっちゃんの4人で3ポイント先取の5ボールバトルをやった。みんな同じようなレベルなので白熱した戦いが繰り広げられたが、結局玲の勝ち。2ポイントまでは取ったんだけどなあ。
久保に相手をしてもらって1カウントセブンをやってみた。最初に4本でフラッシュの練習をするのがいいらしい。以前は全くできる気がしなかったのに、今日はいけそうな感触があった。できれば毎日練習したいな。

2月24日(日)

一体前(12:00~14:00)
「コメプッシュ!」(18:20~20:10)

ダブルトラベラーズの4人とぐっちゃん、ちょりさん、吉井、しんちゃんぐらいを見かけた。ちょりさん曰く「微妙な面子だ」。
ついに練習日以外の練習もMPFシフトになった。今日の成果はホイールに目処が立ったことかな。スピードはまだできる気がしない。
練習後、曽我部と2人で渋谷まで衣裳や帽子などを見に行った。そのうち4人で出かけてビシッと決めないとね。
夕方にはお笑いライブを見るために目黒区民センターホールまで出かけた。家から自転車でわずか5分、座席数417の立派なホールである。前売1,800円で全席自由、私は下手側後方に座っていた。
出演と演目は順にザブングルの漫才「ザブングルお兄さんだよ」、ガリットチュウのコント「初めての旅行」、田上よしえ「気が付いたらいつの間にかスーパースター」、カリカは漫才で「人」を飲む話など、ライオンヘッド「トリオ de 番長」、エレキコミック「機動戦士ヤツダム」、パペットマペットは「逮捕」「中継」「乗馬クラブ」「栃木県」「雷」といったショートコント、ノンストップバスは文化祭の出し物の練習をしようという話、劇団ひとり「彼女が部屋にやってくる」、ダイノジはマイクチェックをしながら最近あった面白いことを尋ねるネタ。司会が原田篤だった。
アドリブがわんさか入ったときのエレキコミックは他を圧倒している。「ヤツダム」は単独ライブで見て知ってるのに、今回また爆笑したというのがすごい。ダイノジは実話を集めてネタにしてるっぽい。「彼女が寝言でポアと言った」というのが個人的ヒット。他に田上よしえ、パペットマペット、劇団ひとりあたりが面白かった。

2月23日(土)

マラバリスタ(18:00~21:00)

MPF用のルーティンを通してみた。通してみるつもりだった。しかしあっちでつっかえ、こっちでつっかえ、なかなか通らない。こんなんで大丈夫なのか?
道具フリマのためにファットヘッドとレザービーンバッグを持っていった。売れなくて全部持って帰ることも覚悟していたのに、木製シガーボックスが3,000円、シリコンボールも3,000円、ビーンバッグは計750円で売れてびっくりした。しかし秋田のと合わせて12本あるファットヘッドは1本も売れず。むしろ3本ぐらいしか出さない方がよかったか?
一方、他人の出品した道具は落札できなかった。一応クラブに入札したんだけど、どうしてもほしいというほどではなかったからあっさり諦めた。
翔一から1993年IJAチャンピオンシップが返ってきて代わりに1994年を貸した。松垣からは1992年が返ってきた。今村には「ジャグリングマスター2」を貸した。

2月22日(金)

一体前(19:00~21:00)

外に高幣と吉井がいて、中は高木1人だった。しばらくして笹野、ぐっちゃん、しんちゃん、池山がやってきた。
高木の話でMPFまであと3回しか練習日がないことが判明した。そりゃまずいだろ、ということで大慌てで尾崎と曽我部に連絡して今週末以降の予定を聞いた。でもよく考えたら明日聞いても同じだったな。わざわざごめん。
池山がなぜマラバリスタ、ひいてはジャグリングから離れていったかという話をしてくれた。ちゃんとした理由があったこと、しかも双方にとって不幸な関係の絶ち方をしていることに考えさせられた。本人が明るく振舞ってくれることがせめてもの救いかな。

2月21日(木)

YDC(19:30~21:00)

今週と来週はYDCの芸チェック日らしく、野毛に向けたネタ見せをしていた。リハーサルではないのでまだできていない部分が多く、「どうしたらよりよくなるか観客の目で見てほしい」と言われた。感想は配られた紙に書く。この方式はちょっといいな。
今日の出演(?)はシガーボックスの2人とディアボロチーム。マスディアボロって見たことないから楽しみだ。工夫次第で面白いものになるだろう。本番の2ヶ月以上前にこういうイベントがあるのはいいことだと思った。
練習後、いつもの和民で飲み会。しかしメンバーが私と奥田さん、佐野さん、久保の4人で、YDCの人は0.5人ぐらいしかいなかった。

2月20日(水)

マラバリスタ(18:40~20:00)

曽我部から曲をもらい、その場でかけながら考えてきたルーティンを試してみた。通すところまではいってないけど、何とかなりそうかな。練習の必要な技もある。
今度の練習日に道具フリマ(オークション)をするらしいので、出品する道具を予め渡しておいた。木製シガーボックスとナランハのシリコンボール。土曜日にはさらにファットヘッドとレザービーンバッグを持っていく予定だ。
ロディから「ジャグリングマスター2」が、良樹から1996年IJAが2本とも返ってきた。翔一に1993年を貸し、今村に「フレア・ビデオ」を返した。潮から返ってきた2001年ハイライトはそのまま今村の手に渡った。

2月18日(月)

一体前(20:00~20:30)

ロディ、東、松垣、良樹がいた。外は風が強くて寒い。
松垣がシガーボックスでジェフ・デイモント系のバランス技をやっていた。よくあんなの練習する気になったな。
良樹にIJAの1996年を2本とも貸した。

2月17日(日)

駒沢公園(12:00~17:30)

ダブルダッチ講習会が開かれるという噂を聞きつけて、4人で駒沢公園まででかけた。公園は強烈に広く、冬だからか人もまばらで、ジャグりたい放題だった。いや、ジャグったわけじゃないんだけど。
講習会には全くの初心者から中級者ぐらいの人までいて、「先生」がそれぞれのレベルに合わせて指導してくれた。全部で30人ぐらいいただろうか。中心世代は高校生~大学生ぐらいだと思う。講習会の途中で雨が降り出したため、雨の凌げる陸上競技場へ移動した。鍵のかかった柵は当たり前のように乗り越えて。
今まで我々はビデオだけを頼りに独学で練習してきた。今回指導してもらって実は基本もできていないことが分かり、色々ためになった。5時間半、へとへとになるまで練習して抱えきれないぐらいの収穫を持ち帰ってきたのである。ダブルダッチも奥が深くて、本当に理解できるようになるのに2~3年かかるだろうなと思った。
帰る途中、自転車を取りに3秒だけ一体前に寄った。そしたら1階で今村、東、久保、南里、伊藤、蒲生、良樹、竹内を見かけて、2階には吉井、しんちゃん、ぐっちゃん、うたがいた。

2月16日(土)

一体前(16:00~17:30)

1階にロディと久保が、2階にはしんちゃん、吉井、ぐっちゃんの3人がいた。東、今村、佳子もやってきた。
久保が久しぶりに5ボールカスケードを数えたら1,180キャッチだったらしい。んー、やっぱり私とは安定感が違うな。
しんちゃんから3月初めのライブ「3++」の葉書きをもらった。合成がうまくできていて、とてもインパクトのある絵に仕上がっている。ジャグリングのライブのはずなんだけど、ジャグリングではない「何か」を期待させる出来だ。

2月15日(金)

マラバリスタ(18:30~21:00)

MPFで使うダブルダッチ用の曲を決定した。4人がそれぞれ1曲ずつ持ってきて順番に聴いたところ、曽我部が用意したアフリカっぽい曲(セトナの「ヘンナ」)がいいと全員一致で決まった。今度の練習日までにルーティンを考えないと。
BS朝日がマラバリスタに取材に来ていた。我々が練習を始めると撮影部隊が近づいて来て、スタッフの人も跳んだりしていた。ダブルダッチはジャグリングじゃないんですけど……。
練習後は渋谷の「甘太郎」センター街店で佐野、佳子、拓馬、神谷の誕生日飲み。30人ほど集まった。

2月14日(木)

YDC(19:10~21:00)

5ボールカスケードからフラッシュを行なうときに 12345 という一定のリズムではなく、123、45 という感じに最後の2投が遅れることを竹内にも指摘された。手を叩くのに神経がいってしまっているらしい。そこでフラッシュが上がるのを確認してから手を叩くようにしたんだけど、途端に成功率が下がってしまった。
3ボールシャワーで 1 のときに背中の後ろを通す技をやってみた。頭の後ろと違って腕の動きが大きいから難しい。ボールを手渡すときに必要以上に強く渡してしまう。
飯田さんをはじめ女性陣からチョコレートをいくつももらった。ありがとう。

2月13日(水)

マラバリスタ(18:30~20:00)

ダブルダッチは軽く練習して今後のスケジュールを決めた。MPFまであと3週間しかないぜ。技術的には3回旋が課題かな。
今村に「フレア・ビデオ」を、ロディに「ジャグリングマスター2」を貸した。良樹から帰ってきた2001年IJAは山内に渡った。今村からは1998年ハイライト、レネゲード2本、キット・サマーズ、ガトー2、ドーナツが返ってきて「フレア・ビデオ」のジャグラーズエディションを借りた。どんだけ持ってたんだか。
一女のみんなからということでチョコレートをもらった。つかみ取り方式で。ちゅーからはスキー土産のクッキーをもらった。どうもありがとう。

2月12日(火)

一体前(20:00~21:00)

仕事で遅れて行ったら曽我部だけがいた。しばらくして松垣と翔一も登場。
翔一や松垣と、シガーボックスの新しい技「タケコプター」を開発した。1個の箱を頭の上でくるくる回すもので、とても難しい。見た目にかなりインパクトのあるアホ技である。
松垣が「パスしませんか?」と言ってきたので「シガーボックス持ってないよ」と答えたら、クラブパスのことだった。何でも3月中に4カウントで15キャッチできるようにならないといけないらしい。しばらく相手をして分かったのは、彼が練習しなきゃいけないのはパスではなくカスケードだということだった。
松垣にIJAの1992年チャンピオンシップを貸した。

2月11日(月・祝)

一体前(15:20~17:50)

今村、ロディ、吉井、ぐっちゃん、しんちゃん、佳子がいて、うたも現われた。みんな試験が終わったから来てるのかと思ったら、「試験前の方がよく来ますね」と言われた。
3ボールの3アップ2段階ダブルピルエットが一体前で初成功。低いとは言えないけど、この高さの天井でできるとは思わなかった。一方、ただの1アップダブルピルエットは途中で失速するのでなかなか成功しない。
今村やロディのいる前でジャグリングに関して知ったかぶりをすることは危険である。今日も「ジェイソン・ガーフィールドがこんな技をやっていた」と自慢げに話したら、すぐに「それはジャグリング・マスター2000で……」「アンソニー・ガトーはもっとすごいことを……」などと切り返される始末。とりあえず「チャック・ガンターは90年ハイライトの13分から」ということは、いつ試験に出されるか分からないから要チェックだ。

2月10日(日)

一体前(16:30~18:00)

吉井とぐっちゃんがいて、しんちゃん、中川、池山、翔一、蒲生、佳子がやってきた。池山は吉井たちと打ち合わせをするために来ているだけで、もうジャグリングはやってないらしい。
一体前の中が空いてなかったので外で練習することになった。しかしこれは寒い。何をどれだけやってもウォーミングアップにならないのがつらい。
翔一が開発したクラブの変形フラリッシュ、通称「しょーいちスピン」を教えてもらった。肩を超えないぐらい小さなオーバーザショルダーを投げて、同じ手でこのクラブを掴む。そこから続けてフラリッシュに入れるように、クラブは逆さの状態で受け取るようにする。ここで一度腕の外側を回す。それが戻ってきたら通常の2回転させるフラリッシュを行なうと完成である。ポイントは外側を回す動きが入ることで、これによってショルダースローからフラリッシュまでがスムーズに繋がる。ぎゅるぎゅる回るのを見ると結構綺麗だ。

2月9日(土)

一体前(17:30~20:10)

今村、川井田、翔一、吉井、ぐっちゃんがいて、拓馬と笹野も顔を見せた。
私が5ボールカスケードからフラッシュを行なうときは 12345 という一定のリズムではなく、123、45 という感じに最後の2投が遅れることを翔一に指摘された。多分、フラッシュに入る直前の投げがそれ以前より高くなってしまってるのだろう。気を付けないといけないんだけど、全然そんな余裕がない。
川井田のアドバイスを聞きながら、クラブの3アップピルエットを2回転(ダブルスピン)でやってみた。重要なのは3本のクラブを投げる間隔をなるべく短くすることで、投げ上げる高さやピルエット速度はあまり関係ないらしい。何度か挑戦したら1回だけ成功した。
今村にクラブを1本借りて、久しぶりに5クラブをやってみた。現在の目標はフラッシュを安定させることなので、無理をせず5投5キャッチだけを繰り返し練習した。右手の投げが前方に行ってしまうことと、左手で3本目のクラブをキャッチするのが難しいことが課題だった。
5クラブを始める際の握り方はみんなサーカスグリップで、ノーマルグリップの人を見たことがない。マラバリスタでは3クラブカスケードのときからサーカスグリップで教えるということもあるし、片手に3本持ったときは確かにその方が投げやすい。でも私はこれまでノーマルグリップでやってきたので5クラブもそれで練習しようと思う。できないことはないはずだ。

2月8日(金)

マラバリスタ(18:20~21:00)

ダブルダッチにかなりの進展が見られた。まず3回旋が連続でできそうなこと。しかも2人が中に入った状態で。これはかなりの大技である。次にスチールが楽しいこと。3人でぐるぐる回れば相当な高速でできることが分かった。そしてターナーが複雑に交代する 4-D ルーティンも何とかなりそうだった。
その一方でリングを使うという案は没になった。ロンダードも考えない方向で。曲はまだ決まらないため、来週金曜日の練習までに1人1曲見つけて持ってくることに決めた。ひえー、大変だぞ。
珍しく松浦が来ていたのにろくに挨拶もできなかった。済まぬ。南も久しぶりに見た気がする。
練習を張り切りすぎたのか、練習後に何も食べたくなくなる「軽い夏ばて状態」に陥った。冬場にこうなったのは初めてじゃないか?
井上に1999年IJAチャンピオンシップを貸して、良樹から「エクストラクト」が、和泉田からサーカスのビデオがそれぞれ返ってきた。2001年は竹本から返ってきてそのまま良樹の手に渡った。

2月7日(木)

YDC(19:10~21:00)

今度は3ボールシャワーで 1 のときに足の下を通す技ができるようになった。片足を上げてその下を通し、足を下ろして普通に手渡しする「2カウント」は安定してきた。これが左右両方の足でそれぞれ30回できるようになったので、いよいよ両足を交互に上げる方法に挑戦。練習すれば何とかなりそうな感じだった。ポイントは落ちてきたボールをなるべく低い位置で取ること。そうしないと、足を上げてるのにその上を通すという間抜けな状態になってしまう。
野毛にクラブで出る奥田さんや前田とパスをした。本当は彼らのルーティンを見せてもらいたかったんだけど、メンバーの半分が来ていないということで普通の練習になっていた。

2月5日(火)

一体前(19:50~21:00)

しばらく1人で練習していると、しんちゃんがやってきた。
3ボールシャワーで 1 のときに頭の後ろを通す技ができるようになった。連続で行なうのはまだ難しいけど、5 の投げを思いっきり高くすれば数回は続く。現在の目標は、ボールを手渡すとき一緒に髪の毛も掴んでしまうのを何とかすること、かな。
日曜日も含め、ここ数日仕事が忙しくて思うように練習時間が取れない。明日のマラバリスタも行けないことが分かってるし……。

2月4日(月)

一体前(19:30~21:00)

試験期間中だからか誰もいなかった。
私の6ボールファウンテンは最初の1投だけリズムがおかしい、ということを曽我部に指摘されていたので、そこらへんに注意して投げてみた。こっちの方が正しい投げ方だとしても、慣れてないのであまり続かない。……と思ったけど、もともと大して続かないんだから変わらないか。

2月2日(土)

一体前(15:40~17:30)

松垣、曽我部、中川がいて、ちょりさん、今村、井上、翔一、拓馬もやってきた。ちょりさんが入ってきたとき、中川が「仕事は? あ、今日は土曜日だから会社が休みなんですね」と言った。なぜ私が入ってきたときに気付かなかったんだろう?
5ボールで自己記録を更新した。一応の目標だった300回も射程圏内に入った気がする。ただ、ここまで来るとあとは気力と体力の問題になるので、すぐに達成できるかどうかは分からない。

2月1日(金)

マラバリスタ(18:30~21:00)

高木、曽我部と3人しかいなかったので、ターナーの交代の練習をしたり、1人だけが中に入ってできる技を考えたりした。3人でできることって意外と少なく、しかも駒場祭である程度やってしまったので新たに考えるのはかなり大変だ。
五月祭実行委員会(仮)が発足した。委員長の翔一以下、とりあえず8名ほどで活動を開始する。早め早めに動かないとね。
神谷からガトーのビデオが、久保から2000年IJAチャンピオンシップが返ってきた。